大判例

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名古屋高等裁判所 昭和35年(う)987号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪

理由

本件控訴の趣意は弁護人田中成彦の控訴趣意書に記載されているとおりであるからここにこれを引用するが、これに対し当裁判所はつぎのように判断する。

本件控訴趣意中弁護人の事実誤認の論旨について、

よつて記録を精査し、原判決表示の各証拠その他原審において取調べたすべての証拠の内容を仔細に検討し、当審における事実取調の結果を加味参酌するときは、つぎのような事実が窺われる。

(一)  高根村日和田地区について、

岐阜県大野郡高根村は四囲を峻嶮にとりかこまれた未開の僻地で、とくに本件事件の発生をみた日和田地区はアルプスの直下にある山間の孤島ともいうべき未開発部落であつて、終戦後にいたるも電気の恩恵に浴することなく、部落民は昔ながらのランプの生活をおくつていたのであつて当時部落民としてはいかにもしてこの非文明的非衛生的な生活を脱脚したきものとの切なる念願を有していた。

(二)  日和田電気利用組合の設立

日和田区においては昭和二十一年中部落常会で部落所有の山林立木を売却して電気を引くことを決議したのであるが、あたかもその頃、日和田区居住の牧坂松太郎が同部落民七十五名の共有にかかる山林四百町歩に生立する立木を部落民に無断にて関与吉なる者に代金百四十万円で売却した事件があつたが、右山林立木は日和田区に電気をひくために処分したものであるということで起訴されるにはいたらなかつたけれども、その結果として右山林立木に共有持分を有していた部落民は一灯につき金八百五十円(後に増額)を出金すれば、その余の電灯引込の諸費用は一切牧坂松太郎の責任において支弁し電気は中部配電株式会社(現在の中部電力株式会社)から買いいれることになり部落民は前記共有林売却前に部落民から牧坂に右立木を売却したこととし、ついに昭和二十四年五月十九日日和田電気利用組合の設立をみるにいたつた。

(三)  日和田利用組合の運営

かくして日和田電気利用組合は一応設立され牧坂松太郎が組合長となりその他理事、監事の選任も行われたが、役員の任期の定があるに拘らず改選が行われたこともなく、定時総会の定があつても総会も殆んど開催されたことがなく、同組合は組合長たる右牧坂松太郎の独断専行にまかされていたのである。

(四)  被告人の点灯

被告人は昭和二十八年五月頃右日和田電気利用組合員である中島はつ所有の板倉(倉庫)を借受けてこれを改造してこれに入住し爾来材木業兼雑貨商を経営し来つているのであるが、その板倉は被告人が借受ける以前は、日和田小学校の教員が右中島はつから借受け居住していたのであつて、その頃電気は中島はつの母屋からソケツトで板倉に引きこみ点灯していたので、被告人も同様右組合の了承のもとにその設備をそのまま利用し、ただ中島はつ方の定額灯の数を被告人方の点灯所要数だけ増したのみで従前のまま電気をつかつていた。その後昭和二十九年五月頃中島はつ方が定額灯をメーター制にきりかえたのでそれからは同人方の使用電力量の二分の一に相当する料金を被告人において右中島はつに支払つていた。しかるに昭和三十一年五月頃組合からの指示があつて、ソケツトによる中島方母屋からの電気引込は危険のともなうことを懸念してこれを中止し板倉前の道路上の電柱から直接被告人方へ引込線により電気をひくことになつたが、被告人は他部落から来たいわゆる他所者で当時まだ日和田区に定住する意思も固まつていなかつたので、多額の入会金(前記日和田部落共有にかかる山林の持分を有していた者以外の者は三万五千円)を支払つて組合員として正式に加入することを躊躇しそのかわりに臨時灯名義で一年間電気の供給を受けることとし、普通料金の二割増の料金を支払うことを右組合ととりきめ、ここに始めて被告人と同組合との間に直接電気供給契約が成立したのであつた。

(五)  被告人方への引込線の切断

しかるに組合長牧坂松太郎は被告人との電気需給契約の一年という期間は昭和三十二年四月末日をもつて満了しているとなし、同年五月二十七日頃同組合のため電気料金を集金していた秋本利盛が当日迄の電気料金を被告人から受領しているのに右牧坂松太郎は

(1)  昭和三十二年六月十七日組合の技術員たる杉山一二三に品じ被告人方の引込線を無断にて切断し

(2)  同月十九日被告人が右切断のため中島はつ方からソケツトで被告人方へ引込み点灯していたその引込線を右牧坂自ら切断し

(3)  同月二十三日右切断後修理された中島はつ方からの引込線をまたも自ら切断し

(4)  同年十一月十七日右切断後修理してあつた中島はつ方からの引込線を自ら切断した上更に室内電気設備を破壊し

(5)  同月十九日右切断後修理してあつた中島はつ方からの引込線を自ら切断したのである。

(六)  牧坂組合長による右引込線の切断の真の原因、

被告人は前記の如く日和田電気利用組合員として正式に加入こそしなかつたけれども、臨時灯名義で一年間にわたる電気の需給契約を締結し普通料金の二割増という高い料金を支払つており、しかもその支払を遅滞したこともないのであるから、同組合において被告人との契約の更新を拒否せねばならないような何等の理由もないことからみても、組合長牧坂松太郎が叙上の如く杉山一二三に命じたり、自ら手を下してまで被告人方の引込線を切断したのは契約期間の終了といつてもそれは単なる表面的な理由に過ぎないのであつて、真の原因は他にあることが窺われる。すなわち、

(1)  牧坂松太郎の昭和三十二年六月中における前記三回にわたる被告人方の引込線の切断については、同年二、三月頃橋本弥太郎坂本道雄の両名が伐採していた日和田字角石平の山材立木の所有権につき同人等と牧坂松太郎との間に紛争を生じ同年五月頃右牧坂は高山簡易裁判所に立入並伐採禁止等の仮処分を申請し仮処分命令を得て執行したけれども、伐採木の搬出後で目的を達しなかつたが、右伐採木は、小坂末造が買受けたものであるにかかわらず右牧坂は被告人が買受けたものと誤解し同人を極度に恨んでいたためである。

(2)  また同年十一月中における前記二回にわたる被告人方の引込線の切断については被告人が丁度その頃上田良太郎から買受けて伐採していた山林立木(之は被告人が伐採着手前右上田及び牧坂並びに被告人等立会の上境界線がきめられていたものである)が日和田区民の共有林であるとなし、被告人その他の者の伐採を阻止しようとして口論の末暴行が行われ、双方に負傷者をだすようなことになつたが、前記(4)の十一月十七日の切断はあたかもその喧嘩の皈途、牧坂が腹たちまぎれにやつたことで、(5)の切断も同人の右興奮のまださめやらぬうちに、被告人がまた又これを修復したことを憤慨してその切断を敢てしたものである。

(七)  電気需給契約の更新と被告人の犯意

牧坂松太郎の叙上の如き被告人方の引込線の切断ことに前記十一月十七日の切断、損壊については、すでに同人は器物毀棄罪により罰金三千円に処せれており、その行為の違法なことはことはこれを論外とするも、日和田電気利用組合が果して何等首肯するに足る理由なくして被告人との本件電気需給契約の更新を拒否しうるかについては多大の疑の存するところである。元来電気というものはわが憲法が国民に保障している健康で文化的な最低限度の生活に必要欠くべからざるものであつて、公益事業令(電気及びガスに関する臨時措置に関する法律により本令の規定の例による)第五十三条が「公益事業者は正当の理由があるのでなければ、何人に対しても、電気又はガスの供給を拒んではならない」と規定しているのもこの趣旨に外ならない。もつとも同令第二条第六号、第四号によると、ここにいわゆる公益事業者というのは、通商産業大臣の許可を受けて電気事業を営む者を指称するものと解すべきであるから、日和田電気利用組合が同令の公益事業者に該当するものとは認めがたいけれども、前記のような憲法の基調たる精神に基いて、その法意を推及すると、日和田地区のように右電気利用組合以外に電気の供給をうける途のまつたくとざされている地方では、本件電気需給契約の更新のいわれなき拒否は条理上これを認むべきではないし、況んや組合長牧坂松太郎の私憤にいでた更新拒否の如きはその権限を濫用するものであつて、その許さるべきでないことは言をまたない。してみると被告人の臨時灯名義をもつてする期間一年の電気需給契約(臨時灯とは云へ被告人は前叙のとおり昭和二十八年五月から日和田部落に入住し爾来組合の了解の下に中島はつ方からソケツトにより電気の供給をうけていたのである)はその期間満了後昭和三十二年五月二十七日当日までの前記電気料金の支払によつて、同一条件をもつて更新されたものと認めるのが相当である。したがつて、牧坂松太郎の前叙の如き被告人方の引込線の数次にわたる切断という不法な侵害に対し、被告人がその都度これを修復して電気を使用したことは自己の電気需給契約上の権利を防衛するため少くともその認識の上においては已むことを得ずしてなしたものと認められる。しかも被告人がその使用した電気について料金の支払を免れる意思の毛頭なかつたことは被告人が知人とも相談の上昭和三十二年七月二十九日、同年六、七月分の電気料金として金二千円(従来の使用料金は大体月八、九百円であつた)その後同年十一月二十七日迄毎月千円宛を積立貯金して電気料金の支払を用意しつつ(このような場合本来は供託するのが相当であるとも考えられるが法務局は高山市まで出なければならず日和田から高山までは六十粁の遠距離であつて冬期を除きバスがある場合でもバスを利用して往復六時間を要するところである)公然と点灯していたことからみてもほとんど疑を容れない。

かようにみてくると被告人には盗電の犯意があつたものとはとうてい認めがたいので、原判決はこの点において事実を誤認したものというほかなく、その誤認が判決に影響を及ぼすことはいうまでもないから、原判決はとうてい破棄を免れず、刑事訴訟法第三百八十二条第三百九十条により原判決を破棄するが、本件は原裁判所が取調べた証拠により当裁判所において直ちに判決するに適するものと認めるから、同法第四百条但書に従い、当裁判所において判決する。

本件公訴事実については、叙上の如く被告人に盗電の犯意があつたと認むべき証拠がないから、被告人に対しては刑事訴訟法第四百四条、第三百三十六条に則り無罪の言渡をなすべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 小林登一 判事 成田薫 布谷憲治)

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